■屏風作品
□日展・出品作品
□書道芸術院展・出品作品
□毎日書道展・出品作品
□第1回個展 (下図3点の屏風と、毎日書道展出品の六曲「古風」でした。詳細はこちら(個展の思い出)をご参照下さい。)
□第1回墨象会展〜ほか屏風作品
□玉龍会展・出品作品
■命をかけた作品
□1〜2文字
■墨象・彩画作品
□
■臨書作品
□臨書帖・表紙
□漢禮器碑節臨(S51=1976.02.28) 287×4200
□北魏爨寶子(サンポウシ)碑節臨 (S51=1976.02.15) 287×4375
□唐孫過庭千字文節臨 (S50=1975.10.11)288×4375 (S49=1974.04.26)
□王右軍集字聖教序臨(S51=1976.2.21) 287×4200
□張金界奴本蘭亭序(叙)節臨(S49=1974.04.20) 287×4375
◎蘭亭序の読み(芸術新聞社「墨」第99号より)
永和九年 歳在癸丑 暮春之初 會干會稽山陰之蘭亭脩禊事也
<永和九年、歳(トシ)は癸丑(キチュウ)に在り、暮春の(之)初め會稽山陰の蘭亭に會す。禊事(ケイジ)を脩(シュウ)するなり>
・永和九年(353)癸努丑の歳、三月初めに、会稽山のかたわらにある「蘭亭」で筆会をひらきました。心身を清めるのが目的の催しです。
郡賢畢至 少長威集 此地有崇山峻嶺茂林脩竹又有
<郡賢畢(コトゴト)く至り、少長威集まる。 此地、崇山峻嶺(スウサンシュンレイ)茂林脩竹(モリンシュウチク)有り>
・大勢の知識人、それも年配者から若い人までみんな来てくれました。さて、ここは神秘的な山、峻険な嶺に囲まれているところで、生い茂った林、そして見事にのびた竹があります。
清流激湍 暎帯左右 引以為流觴曲水列坐其次
<清流激湍ありて、左右に暎帯(エイタイ)せり。引きて以(モ)ちて流觴(リュウショウ)の曲水と為し、其の次(カタハラ)に列坐す>
・また、激しい水しぶきをあげている渓川の景観があって、左右に映えています。その水を引いて觴を流すための「曲水」をつくり一同まわりに座りました。
雖無絲竹管絃之盛一觴一詠 亦足以暢叙幽情是日也
<絲竹(しちく)管絃の(之)盛(セイ)無しと雖(イヘド)一觴(ショウ)一詠。亦(マタ)以ちて幽情を暢叙(チョウジョ)するに足る是(コ)の日也>
・楽団が控えていて音楽を奏でるような華やかさこそありませんが、觴がめぐってくる間に詩を詠ずるというこの催しには、心の奥を述べあうに足るだけのすばらしさがあるのです。
天朗気清 恵風和暢 仰観宇宙之大 俯察品類之盛
<天朗(アキラカ)に気清(スミ)、恵風和暢せり。仰いでは、宇宙の(之)大を観、俯しては品類の(之)盛なるを察(ミ)る>
・この日、空は晴れわたり空気は澄み、春風がのびやかにながれていました。我々は、宇宙の大きさを仰ぎみるとともに、地上すべてのものの生命のすばらしさを思いやりました。
所以遊目騁懐 足以極視聴之娯 信可楽也
<目を遊ばしめ、懐(オモ)いを騁(ハ)する所以(ショエン)にして、以ちて視聴の(之)娯(タノ)しみを極むるに足る。信(マコト)に楽しむ可きなり>
・なぜ我々が目の保養をはかるのか、また心を開いてのべ合おうとするのか、そのわけは其処にあるのであって、見聞の楽しみの究極といえます。本当に楽しいことです。
夫人之相興俯仰一世 或取諸懐抱悟言一室之内
<夫(ソ)れ人の(之)相興(アイトモ)に一世に俯仰するや、或は諸(コレ)を懐抱(カイホウ)に取りて一室の(之)内に悟言し>
・そもそも人間が、同じこの世で生きるうえにおいて、ある人は心中の見識こそいちばん大切だとして部屋の内にこもり、うちとけて人々と相対して語り合おうとし〜
□蘭 亭 序(S51=1976.02.15) 288×4375
□漢魯峻碑節臨(S52=1977.09.08)242×4370 唐緒遂良哀冊帖節臨(S49=1974.04.13) 桐箱入り臨書折帖
□唐緒遂良枯樹賦節臨 (S50=1975.10.07)287×4025 (S48=1973.03.23)
□唐顔眞卿竹山連句節臨(S54=1979.11.22) 284×5130
□唐顔魯公争坐位帖節臨(S49=1974.07.14) 284×5190
□光明皇后楽毅論節臨(S51=1976.02.28) 287×4375
□貫名菘翁書五柳先生傳 (S51=1976.02.21) 287×4375
■色紙作品
□文字性色紙
□非文字性色紙
■傘寿記念色紙
■未表装作品
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■作品観賞
■作品
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