逸話集








逸話〜9 <河田一臼先生の貴重な半紙手本> -2011.01.08-

S氏が保管されていた河田一臼先生56才頃の半紙手本を示します。
 漢字手本は「智永・千字文」と、北魏のもの(高貞碑?)などと思われます。「空中無色」は [般若心経]に見られる字句ですが、どの法帖に基づくものか定かではありません。 千字文については智永、褚遂良、のほかに色々ありますが、若かりし頃の一臼先生は習字文検をめざして日下部鳴鶴の「三體千字文」を克明に勉学されていたと随筆に記述されています。 特に一臼先生の仮名手本は殆どなく、「いろは仮名」はとても珍しく貴重であります。









逸話〜8 <紙上書初め> -2010.12.27-
★河田一臼先生書初め作品の18891992までのものを追加掲載します。


以前の日誌の中でも紹介(2009.8.11==561号)しましたが、河田一臼先生の新春書初め作品が岡山新聞の紙上において約10年間連載継続されたことがあります。 河田一臼先生70才前後の充実された時期だったと思います。古い新聞写真ですが、再度一覧にしてまとめましたのでご堪能下さい。




★作品添付の文章は次の通りです。
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◇昭和54(1979)初春・掲載作品 『 鳳 』 ……「宇宙へ羽ばたく」  
 「鳳」は、古代中国人が宇宙の吉祥を象徴した霊鳥です。心と精神、気迫と魂で人間讃歌の書と墨象を創造する一臼先生の悠々たる境地がうかがえる。
 筆勢は豊かで大らか。墨色は無限の色彩と宇宙に響き渡るけんらんの天鼓の音が聞こえます。いや心の耳に響くのは宇宙をおおう鳳の羽ばたきの音か。独創の芸術家、書道教育功労者、河田一臼先生の円熟の境である。
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◇昭和56(1981)初春・掲載作品 『 樂 』 ……「平和と自由の讃歌」
 古代中国人は形象・事柄を文字に表した。「樂」は、木の上に巣を営んだ鳥がさえずり競う生命の歓びを表した文字です。人間の自由を求める思いや優しい心・強い精神などの人間讃歌を、気迫と魂で墨象・書に創造する一臼先生のゆとりとくつろぎがうかがえます。
 一臼芸術には音楽がある。楽また楽…書道芸術に悟入した一臼先生の心の音楽が聞こえてくるようです。
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◇昭和57(1982)初春・掲載作品 『飛』 ……「人類文化の根元」
 古代中国人は森羅万象を文字で現した。「飛」は空に舞う天女の羽衣の象形です。
 一臼先生の書は文字の文化の根源をとらえて、人間そのものを讃え歌う。雄渾の筆勢は魂と精神の湧出をみごとに捉えています。 個性と人間愛、物事の深奥に迫る一臼先生の書道芸術・人格といえましょう。
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◇昭和58(1983)初春・掲載作品 『祥』 ……「天地、祥を発す」
 「祥」は広辞林では @よろこび A吉凶のしるし B一周忌と二周忌 とある。「祥」は羊の皮衣を形象したもの。暖かい羊の皮衣は人間の生命にとって最高の衣服であり、よろこびの証であった。
 古稀を迎えられた一臼先生は、新たなる芸術の創造に精進する。心気自ずから天地の間に発して瑞祥を呼び寄せんと気迫十分である。
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◇昭和59(1984)初春・掲載作品 『抽象』 ……「生命、華麗なり」
 墨象は墨によって表現する日本独特の芸術―絵のようで絵にあらず、字の如くにして字にあらず、形あるが如くして形にあらず、エネルギーであり、運動であり、リズムであり、霊波であり、玄妙にして夢の世界の如く、人間の深層に訴える。
 河田一臼先生の墨象は時に墨絵に迫り、時に形象の前衛をゆく。 練達の書道家であり、すぐれた教育者である先生の人間愛・宇宙観・祈り・夢あるいは芸術への欲求が、半ば無意識のうちに色紙に墨の生命を生み出している。
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◇昭和60(1985)初春・掲載作品  『乾坤輝』 ……「大宇宙に慈光遍満」
◇昭和61(1986)初春・掲載作品『虎』…「威風堂々」
◇昭和62(1987)初春・掲載作品 『頌春』



逸話〜7 <「代悲白頭翁」と「公子行」> -2010.12.02-

★ H22(2010)=12月度の当ブログ表題画像は河田一臼先生51才当時の第1回墨象会展出品作・六曲屏風「公子行」であります。先月11月は一臼先生46才当時の第10回毎日書道展出品作・六曲屏風「代悲白頭翁」でありました。
 
共通しているのはいずれも、初唐の詩人・劉希夷(廷芝=庭芝)の代表的詩句であることです。劉希夷は28才という短命であった詩人であり、情熱的若さが感じられる詩句内容であります。
 
多文字七言詩(175)「代悲白頭翁」揮毫制作から5年後の昭和38年に、同じ劉希夷の代表的多文字七言詩(196)「公子行」を選ばれた一臼先生の心中には何か期するものがあったのではと想像する次第です。これを最後に多文字詩句作品の屏風揮毫はされていません。



逸話〜6 <永字八方の意義と「基本八十一本」> -2010.11.08-
★古来より伝わる用筆法の一端である永字八方について、河田一臼先生<秘蔵書籍一覧>中の「習字本大成」配本付録・書法講義(野本白雲著)に下記のような興味ある考察記述がされているので次に紹介します。

●永字八方の要訣の大意⇒
◎「永字八方」を如何に研究しても何の役にも立たない。またその点画一々を形だけで理解するのは愚である。
◎永字八方個々の<名称の字義>について深く考察し、名称の一つ一つに意味があることを理解して、筆の運動を説明していることに着目しなければいけない。
※永字八方個々の<名称>〜図参照〜<名称の字義>


『側』 (点)  この字の意味は「傾く=傾斜する」である。筆が直立していては点は出来ぬということを示す。
『勒』 (横線)  この字の意味は「手綱」である。馬を御するのは手綱による。馬を走らせ、止まらせ、障害物を飛び越えさせること全ては手綱の捌き方にかかっている。
   書において横線一本を引くにも只漫然と引くのではなく、手綱の引き方と相通ずるものである。
『弩』 (縦線)  この字の意味は「石弓」である。古代の武器であった石を飛ばす石弓は弾力のある木や竹の真直ぐに返ろうとする力を利用している。
   書において縦線を引くのにも、このような勢いを持つべきである。ただ曲がったのではなくて、真直ぐなものを引っ張り元に跳ね返ろうとする勢いを持つべきです。
『趯』  この字の意味は「蹴り飛ばす」である。書における「はね」の所は普通の画と違って極めて早く、靴で何かを蹴上げる様にする。
『策』  この字の意味は「鞭打つ」である。横画に似ているが、『勒』のような重要な意味はなくて、軽く馬の尻に鞭を当てる感じで筆を運ぶということ。
『掠』  この字の意味は「かすめる」である。物を掏り取ることの他に、「髪を梳く」ことです。昔は婦人の長い黒髪を梳く時に、手に余るほど長い黒髪の根元を握りしめて、
     櫛で梳くと髪の先まで来ても櫛が抜けないので、櫛の先を一寸持ち上げて梳き上げる。書における左払いを引く筆の運びもこれと同じである。
『啄』  この字の意味は「ついばむ」である。左払いの軽いもので、鳥が餌をついばむ様にすくい取るように筆を運ぶこと。
『磔』  この字の意味は「はりつけ」又は「開く」である。鰻やどじょうを開く時、刀をあてがってピリピリと裂いてゆきます。書における右払いの用筆はこれと同じである。
     速からず遅からず筆がよく開帳して行かなくてはならない。

★幾分の異論はあるものの、永字八方の<名称の字義>を乗馬の手綱捌き、櫛の梳き方、魚の刀捌きに例えているのが的を得ていると思えます。
★また、河田一臼先生<秘蔵書籍一覧>中の書道講座「書論及書法」において130頁にわたり永字八方以外の書法についての古来からの考察などの記述があります。(文語体内容について解読後、後日紹介したいと思います。)
★これらの解釈〜理論に不十分さを覚えた河田一臼先生は、東京中央にも明確なものがなく、普遍的な書道理論を求めて遂に「基本八十一本」を創作されたのではないかと推測します。



逸話〜5 <弘法大師空海・『四句の偈』> -2010.07.27-

★河田一臼先生は弘法大師空海の書を常々賛美されていました。最も有名である格調の高い「風信帖」は勿論ですが、飛白調の梵字的表現である『般若心経秘鍵』に見られる運筆表現に対して、宗教家であるにも拘わらずその革新的な斬新さを賛美されていたのです。


60才以後の一臼先生は、お遍路笠文字でも知られている弘法大師空海の『四句の偈』語句「本来無東西 何処有南北 迷故三界城 悟故十方空」をよく揮毫されています。
★此のたび、F氏の表装になる一臼先生の『四句の偈』軸作品が加わりました。








逸話〜4 <極意「淡水の浮き身」>

★河田一臼先生が大津で療養されていた時、見舞いに来られた教え子・吉鷹松香さんに対して「書(運筆)の極意は"淡水の浮身だよ。非凡から平凡だよ"」と語られています。 (<『一臼先生に再会して』吉鷹松香記>参照)
★「浮き身の心が極意である」とは、わかったようなわからないような如何にも禅修業をされた一臼先生ならではの言葉です。
★一臼先生は45才(1957)の時、第7回奎星会展へ「浮き身」が題材の作品を出品されています。水泳が得意であった一臼先生は「浮き身」精神が水泳の極意であると思われていました。
 更に発展して、書道における運筆(表現)の極意も浮き身であると確信されたようです。


★「非凡から平凡」=「淡水の浮身」を想像するのに、『一臼先生の水泳〜書道の極意とは「究極の抜力」ではなかったか』と推測します。
★人類固有の精神文化遺産であるART(芸術)作品の制作には様々な要素が求められるのでしょうが、書道に代表される東洋芸術の根本理念は大自然と融和するものではないかと愚考します。
 究極に力が抜けてこそ、自由で楽しい表現が出来るのではないかと心待ちにしているのですが……
★78〜80才頃の一臼先生・穏画色紙作品においては「クロール水泳図」が多く、浮き身関連作品は余りないようです。 穏画色紙に見られる浮き身関連作品をピックアップしてみました。





逸話〜3 <禅語「森羅影裏蔵身」>

★河田一臼先生は42才の時(昭和年29年)に、第6回毎日書道展へ「森羅影裏蔵身」の禅語六曲屏風の大作を出品されています。
 この翌年の第7回毎日書道展にも同じ語句「森羅影裏蔵身」の二曲屏風を出品されている。


★この時期にはすでに日展特選を受賞され、禅修業による<書の蘊奥=極意>習得にも一応の区切りをつけられています。
★基本八十一本の創作もこの時期にされていますし、苦難の中にもかなり油の乗り切った充実した時期ではなかったかと思われます。
★禅語「森羅影裏蔵身」に対する思いも相当なものであったでしょうが、禅修業が最も苦しかったと懐古しておられ、他の語句に比べてこの語句「森羅影裏蔵身」は余り多くを揮毫されていないようです。
★インターネット盛んな現在、「森羅影裏蔵身」で語句検索すると、何故か一臼先生が53才の元日に番町2丁目のご自宅で詠まれた色紙作品『 朝日影 古樹にも深し 伊勢の宮 』が出てくるのは偶然とはいえないような不思議さを感じます。





逸話〜2 <コンピューターロボット・書作揮毫>

★河田一臼先生の作品関連の逸話とは少し趣がそれるが、昭和59年(1984=一臼先生72歳)8月の玉龍会創立15周年記念展におけるコンピューターロボットによる書作揮毫は大々的なニュースであった。
★一臼先生の熱望と共に、コンピューターソフト会社を経営している久松照山氏がロボット書作揮毫の快挙を実現させたのである。
★玉龍会創立15周年記念作品集に掲載されたコンピューターロボット揮毫の様子と、その揮毫作品の一部を示します。


★26年後の現在、ロボット揮毫作品2枚〜「花」「道」を所蔵されていたF氏により裏打ちされたものを見せて頂いた。 驚くことには、その作品の優れた出来栄えである。 感情、意識のないロボット君だから、これぞ誠の「無為」の作品なのであろう。 当時の一臼先生が「あの作品には、ロボット制作者久松氏の心が入っている」と言われていたのが印象的です。
※当時の玉龍会展会場における、コンピューターロボット書作風景のスナップ写真を示します。





逸話〜1 <六曲屏風作品「夢・雲」>

★六曲屏風一双に「夢」「雲」と一字づつ大字揮毫されたものです。揮毫時期は一臼先生45歳(1958=S32.4.29)である。
★この屏風作品は河田一臼(当時の号:一丘)第一回個展(1960.11=天満屋百貨店二階で開催)に出品展示されたのみであることが特徴である。即ち如何なる審査も経ていない訳である。
★残念なことには年数の経過とともに墨の欠落があり、この屏風作品は現存しておりません。銀箔表装された屏風台紙に直接揮毫されたとのことであるが、雅仙紙のような繊維質紙でなく吸湿性の全くない紙質であったと推定されます。
      揮毫後まもない頃の撮影画像 と 揮毫2年半後〜「夢」第1画点の一部欠落あり

                                              

○この大作屏風作品について、一臼先生自らが随筆の中で記述されている内容を次に示します。
◎ 大 字 (昭和34年元日発行・随筆「夢」より)
 
私は最近岡山市の深谷家(注:深谷高市氏)の為に六曲屏風一双を揮毫することになっている。その屏風は銀箔で材料はわざわざ京都から取り寄せる。先ず之だけでも三万円を超える筈。何や彼で数万円かかるのである。
半双には「夢」と横に。今一つの半双に「雲」と之亦横に。夢(理想)は現実に足場をもたなければならないし、雲も亦。大自然と融合した人間位呑気で楽しいものは又とあるまい。この揮毫に当って使用する巨筆は岡山市山崎町の西文明堂の店頭に見本として釣り下げてある。それの元締めが鋼鉄。毛は山馬で淡茶褐色。毛の長さ約一尺。軸は両手でぐっと鷲ずかみ。軸木は太い黒さや。墨量は二升か三升。これは前以て朝日高校書道部の生徒諸君二、三十名で磨墨すること実に四日間を要するであろう。一筆押えると約二尺となる。
 芸術院会員である豊道春海翁の日展審査員出品作縦額「虎」一字の大字を何年か前に私は観たことがあったがその字の縦線の巾が五寸以内と記憶する。それと比較すると今度の私の場合はそれの二、三倍。こんな馬鹿げたべら棒な大字は未だ日本書道史では拝見しないが、只中国の書には大自然の岩上に書かれた大字が刻されて現存している。日本でも一休禅師が筆をぞろぞろ引張って山上から里まで線を引いたとか子供の頃絵本で読んだことがある。
 「夢」にせよ、「雲」にせよ、上手、下手は問題でなく思い切って堂々とやればよい。

◎ 随筆「かえりみれば」(昭和537月発行 122P)よりの引用
 六曲一双屏風に「夢」「雲」の二字表現の豪華版。巨筆は西文明堂(社長、西政一氏)さんから借用したもので、お店の広告用のもの。墨磨りは朝日高校書道部員二十五名が放課後から夜にかけて二日半かかって磨ってくれた。岡山市東山通りの表具師森文泉堂主人がわざわざ京都で仕立てて下さった銀箔の堅実なもの、それに直々に書いた。揮毫は天皇誕生日のめでたい日を選んだのである。当日は書道部全員が綺羅星の様に其の現場に着坐し寂として声はなかった。そしてやっと書き終えたが、乾くのに十三時間を要した事を作品所有者の深谷氏は私に語った。
 後日毎日書道展を世話する金子鴎亭氏が私に日本書道界のためにこの作品を出品して欲しいと頼まれたが結局は断った。毎日書道展は毎年夏の開催なので東京都立美術館へ審査会員(私)出品したら暑さのために作品が損われるのでそれを断り、その代わりとして多数の字を六曲屏風半双に揮毫した作品を出品した。この「夢」「雲」の屏風は深谷氏が後日でっかい箱を造りそれに入れられ、門外不出として保存されている。私としては歴史的作品の一つである。  <第一回河田一丘個展(1960.11=天満屋百貨店二階で開催)の模様はこちら>からご覧下さい。

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