歌集「檻の中で」


小幡美根子・・・歌集「檻の中で」   




  <風鈴鳴る>

          眼閉づれば 遠くシベリヤを 見るといふ 何を見むとて 吾は眼を閉づ

                  風鈴が 単調に鳴る 真昼間は この病棟に ()つる声なし

                       強い人は 泣かぬから僕も 泣かぬといふ この子を泣かせ 吾も泣きたし

                             ダリヤの花  裂きて芯まで 視むとする  この残虐も  わが内部(うち)に持つ

  < 鼓 動 >

 
        執拗に 疑ひもちて ゐる眼なり もつともつと 欺してやらうか

             振り切りて 出でし街路は 黄昏(たそが)れて 行けども行けども 鼓動鳴り止まず

                   絶対に 嘘をついたこと などないと  いふそんな顔をして 今日も()でゆく


  <暗き歩道>

        不意に黙りし 我が表情を 探りゐる  君よ白壁に 影揺れ止まず

             暗き記憶 消ゆるなけれど うなだれて  君をおもふ時 われいつはらず



 
<カーテンのうち>

         触れ合はぬ 心さびしみ 入りつ日の  光の中に さからはずゐる

                引かるれば 誰にでも() ゆくごとき  ときあり閉ぢし カーテンのうち

                       旗一つ 屋上に強く はためけり  高きには覆ふ 何もなからむ

 

< 夜 の 畳 >

         ひとりゐる 夜の畳青く 静もりて  不意に(あざや)けし 体温といふが

                (つる)されし 夜の籠の鳥 単調に  羽音(はおと)たてゐる 飼ひならされて

 

 

<足枷のごとく>

         黒黒と 貨車鉄橋を 渡りゆくに  息ととのへて 君のことば待つ

               足枷の ごとく離れぬ 思ひ持ちて  陽の(かげ)る道 弱く()きゆく

 

 

< 土 の 裏 >

       かかる孤独 知らざる君が とげとげと  物言ふわれに 咎むる眼をする

              わが胸に 吹き起る風と 潮騒と  つらなりて低き かなしみの歌

                     しんしんと 雪積みてゆく 山の夜  (きよ)まりゆきぬ 汝への思慕も





  
<変貌する街>

      うづたかく 田に山土の 運ばれきて  ふたたび青き 麦生(むぎふ)は見えず

            田を埋めて つぎつぎとビル 建ちゆくに  この一区劃 地蔵残しぬ

                  閉鎖さるる 校庭に深く ()め置きし  球根よひとたびは 咲きたるらむか



  
< (くりや) >

      すすけたる 厨に大小の 節穴あり  朝は光の 踊り場となる

            子等皆が 出でゆく後に 冬日()  老父母は今日も 静かなるべし



  
<さばかるるもの>

      知恵もてば 秘むべき咎を ことごとく  罰せられゐぬ わが弟は

            愛を知る 未来はるけく 足枷を  曳きずりゆかむ (なれ)かとも思ふ



  <赤き入日>

      馴れぬ手に 乳搾りゐむ 午前四時  胸いたくけさ 吾も覚めゐぬ



  
<まぎれゆく背>

      労働者の ひしめく朝の 工場街  たちまちに弟の 背もまぎれゆく



  
<木の椅子>

      一日の 大方を(すご) わが椅子に  馴染めず胸に ひそむたくらみ

            整理終へし 書架に赤赤と 射す西日  いま心地よき 疲れひろがる



  
<冷き紙幣>

      かの貧しき 少女が小さく たたみ来し  紙幣しばらく 手に暖めつ

            

  
<少年群像>

      夜学生が 昨夜(よべ)も使ひし 教室に  コッペパン忘れられ 固くなりゐつ

           眼まぐるしく 吾を追ひ越す 少年ら  皆新しき 自転車に乗る



  
< 紙風船 >

      赤風船 一つ求めて 楽しげに  父なるや人夫 そそくさと去る

            (ゆふ)(あかね) おとろへていまだ 灯ともらず  風に吹かれゆく 紙風船一つ

                  われのみが 異質ならぬか おごそかに  祈禱はじまる 時にいたりて

                        温順に 勤め終へ来て 帰る途  どこまでも低く 雲の垂れこむ






  ・・・ こ の 章   省 略 ・・・









 
<手のある構図>

 なつかしき 人の(かたち)せり 窓窓に  無色の()持て 花は影投ぐ

    新しく 匂ふ書物に 押してゆく  朱印わが(いき)(しるし)ともして

       励ましに 握手されたる 手の温み  気弱き日日の 支へとぞする

          森の木と 小栗鼠(こりす)が語り 合ふメルヘン  この児らにいかに (ひろ)がりゆかむ

             山間(やまあい)の 暗きに農家 二軒並び  団欒(まどゐ)もちゐむ ()さく(とも)して



 
<意志もつ鉄骨>

 川よりの うすら明りに 積まれたる  石がうつくしき 光芒(ひかり)を返す

     個性なき 方形ながら 積まれたる  石がじりじりと 吾を()し来る

         幾本も 並び打たれし 鉄骨は  闇に意志もつ ごとく立ちゐる

             烈風に 小石(きし)めり 永き日を  踏みつけられし もののしぼる声



 
< 天 涯 >

 地を()めむ までに伏しつつ 這ひのぼる  我が()しかたの (いた)みをもちて

    序列もちて 聳ゆる樹樹ら 一様に  南へ長く 枝を張りたり

       道折るる ごとに展けゆく わが視界  蒼茫として 霧たちのぼる

          日の入りは 眼下に遠し (ひだ)なして  ゆるきなだりに 影及びつつ

             天涯を 覗かむと来し 頂に  扁平の空 限りなく蒼し

                永劫(えいごう)に 耐へ得るは何、頂を (きわ)め来てつひの 寂しさにゐる

                   (ぬく)みもつ 火山灰地に 深深と  足踏み入れて くだるスロープ



 
<魚族唄へり>

 電流装置の 捕獲網ひそかに 張らるるとふ  魚族とりまく 海殺伐に

    深海の 魚族(ふん)寄せ 唄ひゐむ  地上絶滅の あかつきの歌

       埋立地に 大工場の 移り来て  海に無縁の 町展けゆく

          (あさ)り来し 魚を(ひさ)ぐと 未明より  浜に喧噪の 人群があり

             流れ来し 精霊舟の ただよひて  昼、波立たぬ 海に日が照る

                無限空に 吸はるるごとき 瞬時ありて  たはやすく浮身と いふもこころふ

                   つかのまの 我が足跡も (きよ)かれと  濡れし砂地を 踏みつつ帰る




 

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